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大阪.京都.福井.岐阜

2023年8月 青春18切符・夏一人旅
大阪 京都 敦賀 大垣
列車・電車 バス.タクシー フェリー 自転車 徒歩 ホテル
2023年8月13日
JR東京駅
JR大阪駅/梅田地下街
ホテル法華クラブ大阪
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8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣
NHKブラタモリ「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」

カオス(混沌)な大阪.最大級の梅田地下街『梅田ダンジョン(迷宮)』を制覇したい
2023年8月旧盆近く。大型台風が接近し不安定な天候が続いている。
台風7号は小笠原島通過後に進路を本土に向けて進行中、だが13日 出発の朝は快晴、台風が近づいている気配もなく予定通り関西旅行に出発する。



  東京駅
2023年8月13日・青春18切符で大阪へ
   乗り放題・青春18きっぷ      普通列車自由席用/発売額12,050円
利用期間
春季用2023年3月1日~4月10日
夏季用2023年7月20日~9月10日
冬季用2023年12月10日翌1月10日
発売期間
春季用2023年2月20日~3月31日
夏季用2023年7月1日~8月31日
冬季用2023年12月1日~2月31日
有効期間:1券5回(人)まで利用でき1回(人)分で乗車日当日に限り有効

8月13日早朝、東京駅5:40分発沼津行きに乗車、一日目は大阪までの旅。
青春18切符を使って、東京、沼津、静岡、豊橋、大垣、米原、6回乗換えて大阪駅へ。新幹線では13870円のところ、青春18切符では僅か2410円

2023年8月13日
東京~大阪.各駅乗換時間
JR東京駅 5:40発
8:04 沼津駅着 乗換 8:09発
9:02 静岡駅着 乗換 9:06発
10:58 豊橋駅着 乗換 11:02発
12:32 大垣駅着 乗換 12:42発
13:17 米原駅着 乗換 13:50発
15:13 JR大阪駅着

米原駅で最後の乗換 13:50発・姫路行

8月13日 15:13分/JR・大阪駅到着

大好きな大阪には、日本一かもしれない複雑.カオスな梅田地下街.梅田ダンジョン(迷宮)がある。可能な限り歩いて地下街を制覇したいと思っている。
大阪駅に到着後、「梅田地下街」を抜けホテルに向かう。大阪で宿泊するのは『ホッケ俱楽部大阪』JR大阪駅御堂筋口から歩10分。

(ホッケ俱楽部大阪/JR大阪駅御堂筋口から歩10分)

事前に研究していたにもかかわらず、早速梅田地下街で迷ってしまう。10時間も電車で移動して疲れていたので、とにかく僅か700㍍のホテルへの道をスマホナビで案内させ やっと16時前ホテルに到着チェックイン。部屋は515号室

2023年8月13日
JR東京駅
JR大阪駅
ホテル法華クラブ大阪
梅田地下街
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太融寺町・太融寺(たいゆうじ)
8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣


部屋で一休み、荷物を置いて、梅田地下街の散策に出かける。
大阪駅への途中で町名の由来になっている「太融寺(たいゆうじ)」に寄る。
弘仁12年(821年)空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅願により創建した由緒あるお寺。


境内を廻り歩いていると、西北隅っこに 「淀殿の墓」え!!。 
かの 信長の姪、浅井三姉妹の長女・お茶々、後の秀吉の側室、大阪夏の陣で波乱の生涯を終えたあの、淀君の墓。
それにしてはあまりに簡素すぎるのでは...墓碑には、明治10年、城東練兵場(現・大阪城公園)の造成にともなって太融寺に移された、と説明されている。


太融寺をお参りして、扇町通りを左に折れると直ぐ、梅田地下街「ホワイティうめだ」への M14入口から入る。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

梅田地下街14入口 梅田地下街「ホワイティうめだ」の東端、泉の広場.LED照明「WaterTree」
14番口から入り「泉の広場」からJR大阪駅方面にまっすぐ進む。
「ホワイティうめだ」泉の広場から大阪駅方面に歩く。



文=WITH YOU..参照
日本一複雑と言われる大阪の梅田地下街「梅田ダンジョン」 大阪の7つの駅を結ぶ地下街は、地元民でさえも迷子になってしまう、まさに迷宮(ダンジョン)「攻略ポイント」を探ります。梅田=大阪駅エリアには、JR大阪駅、JR北新地駅、大阪メトロ(地下鉄)御堂筋線梅田駅、谷町線東梅田駅、四つ橋線西梅田駅、阪急大阪梅田駅、阪神大阪梅田駅と実に7駅もの駅が存在し、その駅と駅を結ぶように地下街が広がっています。さらに、複数の商業施設やビルとも繋がっているため広大かつ複雑化しているのです。現在ではかなり広大になってしまった梅田地下街ですが、その始まりは、1933年に開業した大阪メトロ御堂筋線の梅田駅です。その後、阪神電車が地上から地下に潜り、梅田駅とつなぐ通路ができました。『普通に通路だけやったらオモロないやん、モノ売ったら儲かるやん』と、その通路にお店をぽつぽつと作り始め、1963年には交通渋滞の問題から扇町通の下に地下通路「ウメダ地下センター」が建設されました。これが、現在の「ホワイティ梅田」の原型になったものです。1970年にはさらに東に延び「泉の広場」や「イーストモール」が完成しました。また、もともと阪急百貨店前にあった阪急梅田駅が北側へ移設された1969年に「阪急三番街」が登場。現在のホワイティ梅田もそこまで延長され「ノースモール」が設けられました。「つぎ足し」によって拡張され「新しく建設されたビルのオーナーが『ウチのとこも繋いでぇや』と地下に入り口を設けたことで、周辺ビルの地下フロアともどんどんつながっていったのです」大阪の商売人気質から梅田がダンジョンと化したといえるのですね…!
梅田地下街においてキーとなる「ホワイティうめだ」は、グルメもショッピングも充実した巨大商業施設。 「イーストモール」は、たこ焼きや回転寿司などの飲食店が並び、新バル街「NOMOKA」は、泉の広場の北にできた新しいゾーン。ここは昼からお酒が飲める〝昼飲みストリート〟肥後橋にあった居酒屋「わすれな草」など人気酒場が軒を連ねています。東梅田方面への通路との分岐点、通称「スクランブル交差点」を北に行くと「ノースモール」があります。ここは、「ごはんすじ」(すじ=通り)串カツ、お好み焼き、蕎麦、焼鳥…など、しっかり食べて飲めるお店が20店舗ほど並んで昔ながらの老舗で賑わうエリアです。ノースモールの南(スクランブル交差点寄り)オフィスが入る富国生命ビルの地下にも隣接していることから喫茶店やカフェが多く「KIEFEL」「CAFE 英國屋」「Bechamel Cafe」などが集まっています。ノースモールから北へ進み「プチシャン」ゾーンに入るとほとんど飲食店がなく、ドラッグストア、眼鏡店、雑貨店などが並びます。  迷ったら?スクランブル交差点にある「インフォメーションカウンター」は、困った時の駆け込み寺。10時から19時までスタッフが常駐してフロアマップも配布しています。それから、阪急百貨店を目指す!現在地と目指す方向がまったく違う方面だった場合、わかりやすい施設を目指すのもよい作戦。梅田のダンジョンのほぼ中央に位置する「阪急百貨店 うめだ本店」の四角い建物には、全方向に出入り口があるので、館内に入れば、行きたい方向の出口に抜けることができます。梅田駅まで来て、別の路線に乗り換える際のルートも迷ってしまう人も多いでしょう。大阪メトロ御堂筋線梅田駅は大きく分けて「北」「中」「南」に改札があり、出る場所を間違えると乗り換えに1駅分ほど歩くことになってしまう場合も。阪急は『北』JRは『中』阪神は『南』の改札から出ると近い、という覚え方が簡単。出る改札さえ間違えなければ簡単に移動できます。
 文=WITH YOU..参照

「ホワイティうめだ」から阪神梅田駅前へ

阪神梅田駅改札

梅田地下街を阪神梅田駅改札口に降りてみる。
台風接近してはいるが、今日も全国高校は行われていて、甲子園への足の阪神梅田駅は高校野球の観戦する人たちで改札口は電車がつく度に人の波。


阪神梅田駅は甲子園球場への玄関口。子供の頃から大の阪神ファンの自分には甲子園球場は”聖地”であり、これまでに何度も足を運んだ場所。


全国高校野球甲子園/今日の結果

青春18きっぷ旅は年のせいか体力の衰えを実感、長時間の移動で疲れ、梅田地下街をもっと歩くつもりだったが長時間の移動は老体に負担が大きく、阪神梅田駅で甲子園球場へ行く人帰る人の波を見て、今日の梅田地下街歩きは終了。
早々にホテルに戻りお風呂に入ってゆっくり過ごす。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

ホッケ俱楽部大阪/光明石温泉

しかし風雲急を告げる!
 

明日は一日かけて梅田地下街をどこまで制覇できるか歩いてみる予定だったが、天気予報は大型台風7号が進路を近畿地方に向け北上し、大阪・京都直撃の様相。
状況は差し迫って風雲急を告げる。

大阪には、13日.14日 2泊して、3日目の15日、京都に移動する予定だったが、その日に台風が近畿地方を直撃、報道では JR西日本は15日始発から運転休止予定! 15日京都へ移動できない。そこで一日前倒して明日14日に京都へ移動を決める。


一日前倒し14日京都へ移動

問題は旧盆最中の14日、ホテルに空きがあるかだ。
京都に宿泊予定の「アーバンホテル京都四条プレミアム」に問合わせると、予約は旅行会社JTBでとお願いされる。直ぐにJTBに問合せ、空きがあった!迷わず追加予約。
2泊予定の大阪ホテルを一泊放棄し、京都ホテルを4泊から5泊に変更、余計な出費になってしまったがやむを得ない。大阪は一晩だけの宿泊になった。



追加予約

明日14日は嵐の前の静けさで好天の予報
2023年8月14日
午前中/梅田地下街
ホテル法華クラブ大阪
JR大阪駅
JR京都駅
地下鉄四条駅
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8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

8月14日 天気は嵐の前の静けさ、好天の予報。
「ホッケ俱楽部大阪」は2泊の予定を一泊を放棄して、台風上陸前の今日中に京都へ移動することになった。
京都への移動は午後と決め 午前8時「梅田地下街・探検」に出かける。


昨日と同じホテル近くのM14入口から梅田地下街「ホワイティうめだ」泉の広場から散策開始。

紀元前の大阪一帯は海だった。
湿地帯だった梅田周辺は、埋め立てられ、「埋田うめた」が誕生していった。江戸時代になって語義が悪いと「埋田うめた」が「梅田」に変化していったと伝えられている。

梅田地下街が、混沌、複雑、迷路化していったのには理由がある。


現在の梅田地域は埋立地の上にあり、その頃の街の中心から離れた場所に大阪駅が造れられ、その開発途上に中心地から大阪駅への道路は不規則に設置する事にならざるを得なかった。
2023年8月14日
午前中/梅田地下街
ホテル法華クラブ大阪
JR大阪駅
JR京都駅
地下鉄四条駅
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そして大混雑の地上の通りを回避するために地上と地下は同じ形の道が造られている。

円形ひろばから阪神デパート地下入り口わきを進む。V字の道は覚えられた。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

左側/阪神百貨店

埋立地の為に地盤沈下が複雑な地下街を生んでいった。

ディアモール大阪/円形広場
ディアモール大阪/円形広場

ディアモール大阪の通路には、世界的にも有名なイタリアミラノのガレリアの床面意匠を取り入れ、イタリアの職人が作ったミラノのガレリアの手法によるモザイクアートが点在している。

ディアモール大阪/ファッショナブルストリート
Hilton Plaza Waist   
梅田周辺/地上と地下は同じ形の道が造られている
8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣



円形ひろばから阪神デパート地下入り口わきを進む。V字の道を覚えた。

バル街「NOMOKA」

8月14日3時間ほど梅田地下街を歩いたが、地下街を完全制覇するには遠く及ばなかったが、またいつの日か再挑戦してみたいと思う。Mは好きでないと敬遠するが、大阪の空気感は自分のような好きな者でないとわからない。変なのかなとも思う。

2023年8月14日
JR大阪駅
JR京都駅
地下鉄四条駅
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8月14日「ホテル法華クラブ大阪」チェックアウト     梅田地下街14番口からJR大阪駅へ、京都に向かう

ホテルに戻りシャワーを浴びて荷造りし12:20分、ホテルをチェックアウト、さっき歩いた梅田地下街を14番口から入ってJR大阪駅へ向かう。
大阪駅、8番ホームに入ってきた12:38分の野洲行き乗車、13:20分京都に到着。知らずに乗ってしまったが遠回りの電車だった。急ぐ旅でもないので、問題ない。

8月13日 大阪
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8月17日 大文字山
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8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣







大阪駅12:38分 野洲行き、13:20分京都駅に到着

京都駅から宿泊先「アーバンホテル京都四条プレミアム」は地下鉄烏丸線「四条」駅で下車。

京都四条大通バス停
四条通りバス停に~京都の夏のおもてなし 「京のまちなかミスト」で猛暑のバス待ち客に涼しさを送っていた。

明日は台風直撃ホテルに籠るため、大丸地下の「加悦」であなごの太巻きや途中のスーパーで野菜など2日間分の食料品を調達してホテルに向かう。

 ホテル斜め前・四条堀川交差点の『四条堀川の雨庭』

四条堀川交差点の「雨庭」=道路に溢れた雨水を地中に浸透させ豪雨対策に加え京都の庭園文化を発信する為設置された。「雨庭」すぐ前が、今日から5日間お世話になる『アーバンホテル京都四条プレミアム』。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
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8月16日 五山送り火
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8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣


アーバンホテル京都四条プレミアム

アーバンホテル京都四条プレミアム・チェックイン。観光税?か一日200円X5泊分支払い716号室へ。


このホテルには大浴場がある。着替えて早速二階の大浴場へ。チェックインすぐなので先客は誰もいない。そう大きくもない湯舟だが一人貸切でサウナもついていいお風呂。

アーバンホテル京都四条プレミアム/大浴場

大浴場でゆっくり汗を流して部屋に戻る。へやで下着と靴下を洗濯。
ポットが電源が入らない。フロントに電話するとすぐに新しいポットを届けてくれた。早い対応が気持ちよかった。

716号室は窓の外は隣のビル景観は悪いが格安プラン(5泊朝食込み\31476-)なのでやむを得ない。部屋で一人夕食。
2023年8月15日
終日ホテルに滞在
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8月15日一日大荒れの天候。昨夜からすごい風雨でNHKテレビでは一晩中台風の状況を放送していてさすが報道のNHKと感心した。この豪雨で大阪~京都のJRが朝から運転見合わせになっていて、前倒しして昨日京都に移動して正解だった。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
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アーバンホテル京都四条プレミアム/朝食

アーバンホテルの朝食は一階レストランで。台風来襲の影響で館内はとても静か。
レストランは京都の食材を使ってとても美味しい。

アーバンホテル京都四条プレミアム/716号室
2023年8月16日
四条烏丸
八坂神社
知恩院
ホテルで休憩
二条城
京都御苑から
五山送り火鑑賞
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8月16日昨夜は12時くらいまで寝られずやっと寝て早朝5時に起きる。
8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
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8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣



予定では8:30~朝食だったが6時~一番で一階レストランへ、空いていてゆっくり食べる。玄米ご飯や焼き魚野菜の煮物、コーンスープ、カレーライス食べて、ジュース牛乳、デザートは和菓子など。

四条大通り アーバンホテル京都四条プレミアム

NHK連続テレビ小説「まんてん」と高校野球を観戦。
11時過ぎ~明日歩く予定の銀閣寺へのルートを確認するため、四条通りを八坂神社まで往復する。

四条通り/冠者殿社
ホテルから四条通りへ出るとすぐの、八坂神社の末社『冠者殿社』祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の荒魂。


四条大橋に流れる鴨川は、台風通過後で清流が濁流となっていた。

四条大橋

「出雲阿国」像

四条大橋のたもとに歌舞伎の始祖「出雲阿国」像 目の前に「京都・南座」

8月13日 大阪
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8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
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8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

「京都・南座」

四条大通り突当りは「八坂神社」祇園祭は八坂神社の夏祭り。


「八坂神社」を左に抜け坂道を上がっていくと円山公園。
脇を進み知恩院へ


「いもぼう」
京都の伝統野菜"海老芋"と
"ぼうたら(鱈)"を一緒に炊上る

京都料理「いもぼう」相撲茶屋「いころ」が並んで立つ通りを進む。


知恩院まえで真夏の散歩は終了。

知恩院 ホテルでエコバックもらう
台風一過で強い日差し、帰りに大きなスーパー・ライフ四条烏丸で、夕食材料を買ってホテルに戻る。
四条堀川の交差点、ホテルすぐ横に『26聖人発祥地』の石碑があった。

駐日スペイン大使館
カトリック京都司教区...文/参照
ここから西百メートル妙満寺町に一五九四年フランシスコ会のペトロ・バプティスタ神父により 聖マリア教会 病院 学校 スペイン使節館が建てられた
一五九七年二月五日に長崎で殉教した二十六聖人は同神父をはじめ五名のフランシスコ会士と 三名の日本人イエズス会士および十七名の日本人信者で殆んどここで活動した人であった
ここに建設された聖アンナおよび聖ヨセフ病院は京都最初の西洋式のもので貧しい人が多数収容された
ここに二十六聖人を顕彰するとともに救貧救病 の社会事業が行われたことを記念して一九七九年銘板を掲げる。
8月13日 大阪
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8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣

シャワーを浴びて部屋で早めの夕食。
今夜はこの旅行の目的の一つ『五山送り火』を見学するので準備する。

アーバンホテル京都四条プレミアム/大浴場

8月16日は月遅れ盆の送り火「京都・五山送り火」は今夜午後八時に点火が始まる。18:00 送り火見物に出発。事前に調べ、ゆっくり見られそうな「京都御苑」に向かう。
二条城

ホテル前の四条堀川交差点を直進約1㌔で二条城前にでる。
二条城前を通って少し先の丸太町通りを右折、15分ほどで京都御苑に到着。

思ったより人影が少ない。
大きな木々が多く本当にここから大文字送り火が見えるのだろうか?


見物客を探して中央に向かって行くと、沢山の人だかりの場所に到着。
ここが目指す、京都御所建礼門前近くの広場辺り。
(蛤御門~建礼門前広場~清和院御門先に見えるはず)

8月13日 大阪
8月15日 京都
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清和院御門の先に"大"

 
更に人だかりの多い、建礼門前広場から少し清和院御門方面に寄った場所に移動。


清和院御門方面に寄った場所

午後7時半、送り火の点火開始は午後八時ちょうど。まだ30分程ある。
暗闇の中にベンチを見つけ掛けて待つ。八時五分前、人の波が徐々に動き始めた。


午後八時、送り火の最初、大の字に火が灯り始める。


徐々に灯りも大きくなり、遠く大文字山腹に
の火が勢いよく燃え浮き上がってくる。


小さな感動とともに遠く暗い夜空の下に燃え上っていくの字を眺める。
京都御苑からは送り火は
だけだが、おそらく五山には次々と送り火が燃え広がっているのだろう。



=文/画像.参照
   京都五山の送り火について
五山の送り火は、衹園祭とともに京都の夏をいろどる―篇の風物詩です。京都五山送り火は、東山如意ヶ嶽の「大文字」がもっともよく知られていますが、ほかに金閣寺附近、大北山にある大文字山「左大文字」、万灯籠山と東山(大黒天山)の「妙法」、西賀茂船山の「船形」および嵯峨鳥居本曼荼羅山の「鳥居形」があり、これが8月16日夜点火されます。
送り火そのものは盆の翌日に行なわれる仏教的行事で、ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意昧をもつものですが、これも仏教が庶民の間に深く浸透した中世、それも室町以後のことでしょう。通説によれば、この夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を行く霊を見送るという風習があり、京都五山の送り火は、これが山に点火されてそこに留ったものであるといわれています。
点火の起源
①『都名所図会』などに記されるところで、創始者は空海、往古山麓にあった浄土寺が火災にあった際、本尊阿弥陀仏が山上に飛来して光明を放ったことから、その光明をかたどって点火したものを、弘法大師(空海)が大の字に改めたというのですが、その後近世に至るまで如何なる記録にも大文字のことが記されていないため、全くの俗説にすぎません。
②足利義政を創始者とする『山城名跡志』説は、義政の発意により相国寺の横川景三が指導して義政の家臣芳賀掃部が設計したとしています。
③近衛信尹の説は、寛文2(1662)年に刊行された『案内者』によると、山々の送り火、但し雨降ればのぶるなり…松ケ崎には妙法の2字を火にともす。山に妙法といふ筆画に杭をうち、松明を結びつけて火をともしたるものなり。北山には帆かけ船、浄土寺には大文字皆かくの如し。大文字は三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたりといふ。
いずれにせよ、近年大文字送り火に関する古文書、ならびに大文字山が銀閣寺領であったという資料が銀閣寺から発見され、これらの記録から送り火は室町中期足利義政を創始者とする説がもっとも正しいように思われると地元ではいわれています。
松ケ崎の 妙法 は麓の涌泉寺の寺伝によると、涌泉寺の前身の松崎寺が鎌倉末の徳治元(1306)年日像の教化によって天台宗から法華宗に改宗して妙泉寺となった際、日像が西山に妙の字をかいて点火したものだといい、法は妙泉寺の末寺下鴨大妙寺二祖日良が東山にかいたのがはじまりといわれています。
 船形 は麓の西方寺開祖慈覚大師円仁が、承和年間、唐留学の帰路暴風雨にあい、南無阿弥陀仏と名号を唱えたので、無事帰朝できたことから、俗にこの船形は精霊船といわれており、その船形万灯籠をはじめたと伝えられています。 左大文字は、寛文5(1665)年の『扶桑京華志』に「大文字、北山村の西山に火を以て大の字を燃やす。伝えるところ、これまた弘法の筆画なり。左大文字、京の町より北山をのぞんで左にあるところなり」と記され、その頃には行われていたことがわかります。 鳥居形 の場合、弘法大師が石仏千体をきざんで、その開眼供養を営んだとき、点火されたといいますが、むしろ愛宕神社との関係を考えるべきでしょう。
京都五山送り火の起源については明らかでないが、地元の人々の信仰をもとにはじめられ受け継がれてきたからこそ、それが直ちに記録にもとどめられなかったのであろうと考えられます。
中世末戦国時代に盛んに行われていた大燈呂という風習がありました。公卿山科言継の日記『言継卿記』によれば、永禄10(1567)年に、京都の町で2間4方の大燈呂がつくられ、前代未聞人目を驚かしたといい、元亀2(1571)年には、そのような大燈呂が73もつくられ、町々でその趣好が競われたといいます。大燈呂は精霊送り火の一種である万燈会の余興化したものであり、おそらくそこに示された人々の信仰と意欲が、大規模な精霊送り火である京都五山送り火をつくり出すエネルギー源となったものと考えられます。

ゆっくり初めての送り火を眺め、清和院御門から賀茂川方面に出て、さっき歩いた道を、瞼裏に残る"大文字の灯り"の余韻に浸りながらホテルに戻る。


アーバンホテル京都四条プレミアム

深夜、目が覚めテレビをつける。NHK「これは経費で落ちません」というドラマの再放送をしていて、面白く夜明けまで観てしまう。

2023年8月17日
四条堀川
銀閣寺道
大文字火床
銀閣寺前
四条堀川
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8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣
"五山送り火"翌朝8月17日の京都新聞一面

8月17日 天気予報をチェック午前中は曇り。よし大文字山へ行こう!山登りの支度をして、ホテルの朝ごはんは六時から、一番に食べ終えて、リュックを背負いホテルを出る。近くの四条堀川バス停で6:42分の32番銀閣寺行きを待つ。


アーバンホテル京都四条プレミアム一階レストラン

ホテルを出た時に霧雨だったが、このくらいの雨なら大丈夫 決行しよう、とバスを待っていると、みるみる辺りが暗くなってきた。


あっという間に雷をともなう豪雨になり、バス停で傘も役に立たないほど激しい雨。これは無理と、ずぶ濡れでホテルに戻る。
着替えて数時間休んでいると窓から木洩れ日が差し込んでくる。天気予報を確認すると15時くらいまで雨マークも消え、晴れ時々曇りの予報。気を取り直して再出発。

   
今朝の激しい雨は何だったんだろう。バスを待つ間には青空から夏の日差しが降り注いでくる。四条堀川バス停から11:07分のバスに乗って11:45分銀閣寺へ到着。


銀閣寺バス停で下車、哲学の道へ。


白川疎水に架かる銀閣寺橋を渡り参道に入る。
外国人観光客の多いのにはびっくり。もうコロナなど遠い過去の出来事のよう。


白川疎水銀閣寺橋/右が哲学の道・左が銀閣寺参道

銀閣寺に来たのは、中学校の修学旅行以来、60年も前になり記憶に全くない。

8月13日 大阪
8月14日 梅田地下
8月15日 京都
8月16日 五山送り火
8月17日 大文字山
8月18日 京都
8月19日 敦賀色ヶ浜
8月20日 関ケ原古戦場
8月21日 大垣
銀閣寺参道

大文字山の麓「銀閣寺」は室町幕府8代将軍・足利義政が終の棲家として造営した山荘で、後にお寺となった。今日は銀閣寺には入らず大文字火床を目指す。

銀閣寺入口

「八神社」

平安時代創建「八神社」銀閣寺を含む一帯の鎮守。

行者の森/大文字山参道の石碑。大文字山の登山口。

木漏れ日の差し込むハイキング道を進む。

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清流の木橋を渡るとやっと山道に入る。


「千人塚」13代将軍・足利義輝は要衝の地であったこの場所で、三好長慶と戦ったが敗れ、足利家は衰退の一途をたどることになる。その後当時のなきがらが多数発掘され供養のために塚が建てられた。

「千人塚」

一歩一歩急な坂道を上がる。千人塚で左に行くところ真っすぐ進んでしまい、大の字の左払い辺りの火床下に出る「大」2画目


めまいがして気分が悪い、軽い熱中症か?
35℃越える猛暑の山登りは相当スタミナを使い果たし、火床でしばらく座って休む。


ここは2画目の中ほどの火床
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大の字二画目左払いの下から登った途中で、火床の消し炭を拾って袋に入れる。


今朝の雷雨で一時ホテルで待機してからの出発のため、火床に着いたのが、お昼頃と遅くなり、どの火床も沢山の登山客が持ち帰ったのか、大きな消し炭がなく、小さなものばかりだ。小さくても神聖な消し炭に変わりない。大切に持ち帰ってお守りを作ろうと思う。

昨夜見た大文字の送り火

火床。十字になっているこの部分は送り火で灯される「大」の字の「一」と「人」が交差するあたり。火床の中心/金尾


火床の中心/金尾(かなわ)

十字のこの部分は送り火で灯される「大」の字の「一」と「人」が交差する。
「大」の1画目80m、2画目160m、3画目120mで三辺の火床の数は全部で75基。
「大」の文字の画が交わる中心点「金尾」は、火床が特に大きく作られている。


火床の中心/金尾(かなわ)上の「弘法大師堂」

火床の中心「金尾」にある「弘法大師堂」の灯明からたいまつに火を移し、大の字中心火床「金尾(かなわ)」に点火された後、一斉に「大」に点火される。


帰りの下山道は、30分くらいで銀閣寺参道に降りてくる。


大文字火床まではそれほどの山でなかったが、37℃の暑さの中、スタミナを相当使い疲労困憊。軽い熱中症のように歩くのもつらい状態でやっと銀閣寺下へ戻ってくる。


白川疎水
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銀閣寺バス停から12:41分の32番バスに乗って、ホテル最寄りの堀川バス停下車。
ホテルに戻る。 着替えて大浴場へ。

アーバンホテル京都四条プレミアム/大浴場 716号室
お風呂上り、ベッドに横になるとあっという間に2時間も寝てしまう。やっと体調が元に戻って、のどが異常に渇いていたのか2ℓのペットボトル冷水を一気に空にしてしまう。
大文字山・登山者ブログを読むと、結構大変な山と言う人も多く、簡単な山ではないようで、体力が低下したのかとばかり思っていたが少しホッとした。
部屋で甲子園球場の高校野球中継をみながら休憩。

2023年8月18日
終日ホテルで休養
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8月18日 京都・最終日 
今日は一日ホテルで高校野球を見たり、お風呂に入ったりして休養日。 
昨日の大文字山登山が老体にはこたえた。気持ちは若いころのつもりでも情けないくらい体力は落ちている。 9:20分一階レストランで4日目の朝食。京都にいて一日中ホテルで休養してるのも惜しい気もするが、明日は敦賀から関ケ原を見学して大垣までの移動もあるので、ゆっくり休む。
    
2023年8月19日
地下鉄四条駅
JR京都駅
JR敦賀駅
色ヶ浜
JR敦賀駅
JR関ケ原駅
関ケ原博物館
JR関ケ原駅
JR大垣駅
くれたけイン大垣
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8月19日 今日は京都から福井県敦賀の色ヶ浜に行く。『奥の細道をたどる旅④』で行けなかった敦賀・色ヶ浜海岸。そこで芭蕉は二句を残している。
福井県敦賀色ヶ浜 『寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋』
(意)
この色ヶ浜の夕暮れは寂しく美しい、源氏物語の「須磨の浦の秋」にも勝っている
福井県敦賀色ヶ浜 『浪の間や 小貝ひにまじる 萩の塵』
(意)
波打ち際の波の間をよく見ると、小貝に混じって赤い萩の花が塵のように散っている

アーバンホテル京都四条プレミアで最後の朝食。
7:30分チェックアウト。地下鉄四条駅から京都駅へ。

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京都駅

今日は青春18切符2回目を利用して京都~福井~岐阜に移動。
8:15分・快速.敦賀行の時間まで30分ほどあり京都駅内を歩いてみる。

1997(平成9)年築/現在の京都駅ビルは京都駅舎としては4代目となります。
京都駅ビルは「京都は歴史への門である」という設計主旨から、平安京の都市の特徴である条坊制(碁盤の目)を取り入れ、玄関口としての象徴である「門」を烏丸通と室町通に配しています。また、中央コンコースを谷に見立てた段丘を東西に延ばし、中央部はガラスと金属でカバーされたアトリウム。空を映し出した壮大な内部空間と空に溶け込む外観を作り出しています。
京都駅ビルHPより転載

京都駅発 8:15分快速敦賀行きに乗って、琵琶湖沿岸を通り、9:50分敦賀駅に到着。

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10:05分、敦賀駅前からコミュニティバスに乗り 30分、色ヶ浜バス停で下車。
この時間のバスは8月だけの土・日臨時便で、海水浴の家族が多数乗ってほとんどここで下車した。


目の前の色ヶ浜海岸へ坂道を下っていく。澄んだ海の色がきれい。

色ヶ浜海岸
松尾芭蕉が奥の細道で立寄って、須磨の海に勝と詠んだ「色ヶ浜海岸」

色ヶ浜バス停から坂道を下った集落の蛭子神社前を通って、本隆寺・開山堂境内に入る。奥の細道の48首目の句・ 寂しさや 須磨に勝ちたる 浜の秋、の句碑が建つ。


色ヶ浜・蛭子神社

しかし、奥の細道の49首目の句・ 浪の間(ま)や 小貝(こがひ)にまじる 萩の塵(ちり)の句碑は見当たらないが、この辺りで詠んだのは間違いない。
芭蕉も見た色ヶ浜海岸を見て感無量。

本隆寺・開山堂前の芭蕉句碑
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去年(2022年8月19日)敦賀まできながら寄れなかった「色ヶ浜海岸」にやっと来れた。一日数本しかなバスの時間が迫り、30分余りの短い滞在だったが、色ヶ浜バス停に戻る。

色ヶ浜バス停は
通過一日3本!

色ヶ浜バス停から11:04分の(夏季臨時バス)コミュニティバスに乗って敦賀駅に戻る。


敦賀駅の横に「オルクパーク」という立派な休憩室があり、そこでお昼を食べさせてもらう。


敦賀駅「オルクパーク」

敦賀駅から、近江塩津、米原と電車を乗り継いでJR関ケ原駅へ向かう。


敦賀駅

敦賀駅発12:23分姫路行~12:39分近江塩津着、13:07分大垣行に乗換て米原に13:42分着14:03分大垣行で14:24関ケ原駅到着。

近江塩津駅
大垣行に乗換

14:24分 関ケ原駅に到着、下車。


関ヶ原駅は"無人駅"
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関ケ原駅という大きな名前の駅にもかかわらず、"無人駅"である。
駅を右に出て線路伝いの坂道を進み陸橋で線路を渡ると向こうに「関ケ原古戦場記念館」の建物が見え迷うことはない。

関ヶ原駅の線路際

それにしても暑い。無風で日傘をさしてもアスファルト道路上は40℃越えてるのではないかと感ずる。その道を歩いて10分ほどやっと「関ケ原古戦場記念館」へ到着。500円支払い館内へ。灼熱の歩道から記念館は冷房がきいて天国のよう。


「関ケ原古戦場記念館」

1階~2階、展示物を見ながらを順路に沿って進む。
関ヶ原合戦屏風
関ケ原合戦図屏風

エレベーターで5階展望室へ

「関ケ原古戦場記念館」五階展望室

ここからは関ケ原の戦いの陣形など当時の面影の残る山々と田園地帯。石田三成、小早川隆景、そして徳川家康の陣跡が面影を残して蘇ってくる。関ケ原の町は高層建築物がほとんどないので一層当時を偲ばせている。

「関ケ原古戦場記念館」五階展望室
展望室右側に徳川家康.最初の陣地跡

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「関ケ原古戦場記念館」五階展望室
右前方中腹に石田三成陣地跡

旅行に出かける前に見てきた「ブラタモリ」関ケ原の戦い、とても参考になった。

左下に徳川家康.最後の陣地跡 

「関ケ原古戦場記念館」を出て前庭にある徳川家康最後の陣跡地へ

徳川家康最後の陣跡

「関ケ原古戦場記念館」から灼熱のコンクリート道を歩き関ヶ原駅に戻ってくる。

関ケ原駅から15:22分の大垣行の電車に乗る。

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ホテルくれたけイン大垣駅前
混んでいて立ったままで大垣駅に到着。
南口駅から連絡通路で結ばれている大型店舗「APITA」で夕食の材料を買って、くれたけイン大垣駅前ホテルへ。17:00ホテルにチェックイン。216号室。
2023年8月20日
くれたけイン大垣
大垣/奥の細道結びの地
関ケ原博物館
JR関ケ原駅
JR大垣駅
くれたけイン大垣
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8月20日晴れ 4時起床 旅行最後の一日は「奥の細道」結びの地をあらためて見て歩く。日中の猛暑を避け、日の出とともにホテルを出る。

朝5時前の大垣駅前大通り

大通りを渡って裏通りに入り進むと懐かしい「ミニ奥の細道」


『奥の細道』で詠まれた句碑を市内を流れる水門川沿いの「四季の路」に設置し、「ミニ奥の細道」として整備されている。


水門川

奥の細道結びの地の、船町湊は水門川の川湊で、慶長年間(1596-1615年)から整備が始まり水運が発達した場所で、芭蕉が「奥の細道」の旅を終え、伊勢に向かって船出をした場所だ。付近には標識として、江戸時代後半に建てられた住吉燈台が残っている。


奥の細道を踏破したのち芭蕉は「結びの地」大垣に約2週間滞在した。


そして、船町港から、『蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ』の句を残し、遷宮が行われている伊勢神宮を目指す。

谷木因...
美濃国(岐阜県)大垣の俳人。船問屋を業とする富裕な商人で尾芭蕉とは早くから親交を結び,現存の芭蕉の書簡の中では,延宝9(1681)年の木因宛のものが最も古く,ふたりが心を許し合った友人関係にあったことは当時の書簡からうかがえる。貞享1(1684)年には旅中の芭蕉を自宅に迎え,桑名まで芭蕉に同道した。ただし,芭蕉が交わろうとしなかった井原西鶴やその弟子北条団水とも交わり,菅野谷高政,大淀三千風を迎えるなど,交際の範囲は蕉門に限らなかった。
参照:朝日日本歴史人物事典
芭蕉(左)を迎える友人.谷木因(右)

『蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ』(意)
蛤が蓋と身に分けられるように、私も同じ辛い思いで皆と別れ、秋にも別れを告げ二見(伊勢.二見浦)に向かい旅立つ。

『蛤の ふたみにわかれ 行秋ぞ』句碑の後脇に、『惜むひひげ 剃たり窓に 夏木立』 谷木因の句碑

芭蕉が船に乗り伊勢へ旅立った船町港は、大垣城下を巡る水門川に設けられた川港。水門川は揖斐川と合流し、大垣と桑名の間を船が行き交った。


元禄時代に建てられた住吉灯台の前に浮かぶ鵜飼舟

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水門川遊歩道四季の路(ミニ奥の細道)

帰りにミニ奥の細道から、城下町大垣のシンボル大垣城に寄る。


築城の時期は16世紀前半までさかのぼり関ヶ原の戦いで、西軍・石田三成の本拠地となったことで有名、その後、戸田氏が十万石の城主となり、戸田氏の治世は明治維新まで続いた。


6時半ホテルに戻りそのまま一階レストランで朝食。
格安ホテルだが一応食材は整い昨日まで滞在した京都のホテルに負けない内容にうれしかった。


明日はいよいよ帰宅する。長いような短いような一人旅だったが、旅行はいろいし共感しあいながらの二人旅がいい。
2023年8月21日
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JR大垣駅
JR豊橋
JR浜松駅
JR島田駅
JR熱海駅
JR戸塚駅
JR東京駅
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2023年8月21日 晴れ 6時起床 6:30一階レストランで朝食。8:50分チェックアウト

9:11分発の豊橋行に乗るつもりが、同時刻発車する逆方向の米原行に乗ってしまう。


間違いに気づいたが後の祭り、米原駅9:45分着。豊橋に行くのには、もう一度大垣に戻り豊橋方面の電車に乗換えるしか方法がない。幸い11分後に大垣行の電車がありそれに乗換える。


米原発9:56分~10:32大垣に戻ってくる。大垣から10:41分豊橋行に乗り~12:09分豊橋で12:25分に乗換~12:59分浜松着、13:09分~13:54分島田14:04分~15:51分やっと熱海に到着。


熱海駅から東京は混雑しているので、快速電車用グリーン券(\1000)利用して16:06発~17:53分東京駅着で帰る。

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終2023年8月23日~25日
列車・電車 バス. 徒歩 ホテル
2023年8月23日
お墓参り
JR東京駅
JR高尾駅
JR甲府駅
JR下部温泉駅
下部ホテル
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東京駅

2023年8月23日晴れ フ
ランスから帰国中の娘とタダオ君を連れて恒例のお墓参り。

10:05分東京駅発~11:04分高尾着、甲府行きに乗換11:09~12:41甲府駅着。


身延線発車時刻まで40分あり駅北口の丸政そばへ。お昼時で少し行列を並び日本そばの昼食。なかなか美味しかった。

駅に戻り13:25分発身延線で14:34分下部温泉駅着。


下部温泉駅前に、2つの源泉のお風呂とスポーツジム・ヘルシーレストラン・リラクゼーションルーム等を完備した「ヘルシースパサンロード しもべの湯」がオープンした。


駅から一分下部ホテルへチェックイン。


明日身延町・切石のお寺へ送迎をお願いすると快諾してくれた。
605号室へ。


ちょうど全国高校野球決勝、慶応高校対仙台育英戦が生放送中継中、結果は8対2で慶応高校107年ぶりの優勝で終わった。それから終日このニュース一色。


お風呂に入って17時半~二階のバイキングレストラン「山のかまど」で。夕食後はもう一度お風呂おに入り9時寝る。


下部ホテル『源泉浴槽ある大浴場』●隠し湯の里「里楽」 硫黄泉とアルカリ性単純温泉を引湯。2つの泉質の温泉、11の湯船。

『内湯・壱ノ湯』
2023年8月24日
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下部ホテル
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2023年8月24日 曇り晴れ 早朝お風呂に入って、8時~二階のレストラン"山のかまど"で朝食。10 時~ホテルにお願いしておいたマイクロバスで、お寺までは1往復16㌔もあるが送ってもらえた。


お寺門前で10分ほど待ってもらって急いでお墓参り。


『岩・露天風呂』

ホテルに帰って、温泉ピンポン&お風呂。

『足湯』

2023年8月25日
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JR鰍沢口駅
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2023年8月25日 
10時チェックアウト。


お寺まで30分歩いてM家のお寺へお墓参り。鰍沢口駅に戻り、12:30分~13:19分甲府駅。
富士橋も完成間近

身延線・鰍沢口12:30分~13:19分甲府駅。

甲府駅ビルCELEO「吉田のうどん 麺’ズ冨士山」で昼食
富士吉田名物「吉田のうどん」硬くてコシが非常に強い麺

甲府駅発/特急あずさ14:55分~16:25分新宿駅到着。
成田エクスプレスに乗換へ帰る。
終
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